令和四年三月 祥月命日講 《 施行完了のご報告 》
令和4年 2月5日(土)午前10時より、町屋光明寺本堂において令和四年二月の祥月命日講を厳修いたしましたことをご報告申し上げます。
皆さまに返送いただきました祥月命日講ハガキはご本尊阿弥陀如来の御前に浄納し、ねんごろに供養いたしました。多くのご供養のお申込みを賜りましたこと、あらためて感謝申し上げます。
合掌
二月の法話
皆様の懇ろなるご供養のお心により、ここに執行完了でございます。
本法要へお申込みを頂いた皆様、ご視聴、お心を寄せて頂いた皆様、お疲れ様でございます。
法要の終わりにご挨拶を兼ね、少々お話をさせて頂きたく存じます。恐れながらもう少々お時間を頂けますでしょうか。
2月の主な行事といいますと、一昨日の節分を思い浮かべられる方もいらっしゃるのではないかと存じます。
節分には「鬼は外、福は内」と豆を撒きます。全国の多くの寺社で行事となっている事もございます。このようにこの世での利益を神仏に願う事を現世利益といいます。
一方で当寺の宗旨の浄土真宗では、節分はあまり行いません。理由はこの世での悪を完全に滅す事は出来ない。故に来世で仏となる事を願い、阿弥陀仏を信じ、その御名を南無阿弥陀仏とお唱えする事が覚りへの一番の早道であるという宗旨の為でしょうか。
とは言っても決して現世利益を否定する事や、諦めるという事ではないのです。 親鸞聖人のお作りになった和讃(日本語の仏教讃歌)に『現世利益和讃』というものが
あります。その中の二首をご紹介しまして、ご法要終了とさせていただきたく存じます。
一切(いっさい)の功徳(くどく)にすぐれたる
南無(なむ)阿弥陀仏(あみだぶ)をとのうれば
三世(さんぜ)の重障(じゅうしょう)みなながら
かならず轉(てん)じて輕微(きょうみ)なり
意訳:一切の功徳にすぐれた南無阿弥陀仏をとなえれば、過去・未来・現在全ての障りが軽くなる。
来世の成仏をお約束下さるだけでなく、現世においても阿弥陀如来様のお念仏の利益があると説かれている一首といえましょう。
南無(なむ)阿弥陀仏(あみだぶ)をとのうれば
観音(かんのん)勢至(せいし)はもろともに
恒沙塵數(ごうじゃじんじゅ)の如来(にょらい)と
かげのごとくに身にそへり
意訳:南無阿弥陀仏をとなえれば観音勢至菩薩をはじめ数えきれないほどの諸菩薩(阿弥陀如来のお弟子)が影の如く、あなたの身に寄り添って見守って下さいます。
その諸菩薩の中には皆様が本日お手を合された方をはじめとする故人様、ご先祖様もおいでになる事でしょう。
我を頼みに思えと、公然と仰って下さるのが、阿弥陀如来様であり、ご先祖様であります。その思いを胸に、濁世ともいわれる今の人の世ですが、強く生きたいものでございます。本日も懇ろなるお勤め、誠にお疲れ様でございました。